バイクでたどった「奥の細道」 <アッキーさんのクロスカブ+その後>

「片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず春立てる霞の空に」芭蕉さんの辿った「奥の細道」へ、クロスカブ(110CC)で出発したのは2019年4月のこと。4000kmの旅を終えて・・・ ブログは続きます。 季節の風景、旅のこと、鉄道のこと、新聞テレビから、街のできごと、美味しいこと、うどんのこと、富士山のこと、盆栽もみじちゃんのこと、苔ちゃんのこと、おじさんは怒ってるぞ!のこと・・・などなど 

6/23 バイクでたどる「奥の細道」50日を振返る 雑感①

今年は「奥の細道紀行330年」ということで、ゆかりの地の各市町村では、いろいろなイベントを実施しています。偶然にその年にたどることができてよかったです。中でも「奥の細道 結びの地」の大垣市ではスタンプラリーを、芭蕉ゆかりの各地と連携しておこなっています。私もゴールして記念品をいただきました。

 

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4/27出発の日 千住大橋で。グーグルマップに行きたいところの印がぐるっと。

奥の細道

芭蕉さんと河合曾良さんは、崇拝する西行の500回忌にあたる元禄2年(1689)の3月27日(陽暦では5月16日)に、歌枕を巡る旅に出立しました。千住大橋では「前途三千里のおもひ胸にふさがりて」と言っていますが、実際には、日数約150日、旅程600里(約2400km)に及ぶ大旅行でした。私はバイクでかなり横道にそれたので、走行距離は約4000kmでした。

・できるだけ実際の奥の細道ルートで 同じものを見てみたい

今回出発に先立ち、正確にたどりたいという思いから、過去に辿った経験者お二人のインターネット上の記録を印刷して持参しました。紙で100枚以上になりましたが、これが非常に役に立ちました。中でも写真のデータは手掛かりとしてありがたかったです、句碑や石碑などを探して...探して...あきらめて振り返ると、そこか! ということが何度も。 また、持っていなかったipadとナビをどうするか、悩んだ末に購入持参して大正解でした。19800円のナビはほんとうにいい子でした。

・苦戦した峠道

奥の細道では多くの峠を越えています。しかし今回、山刀伐峠(なたぎりとうげ)は雪のため通行できず。 倶利伽羅峠(くりからとうげ)では道に迷い。湯尾峠では登山道が急で、クロスカブでは登り切れずあきらめました。心残りがあります。

・たどってわかる芭蕉さんたちの歩くスピード 信じられない

奥の細道は場所によって、計算上50Kmも歩くことになるようです。バイクでもちょっとあるな~という距離を、簡単に?往復したような記述になっています。夕食後にちょっと出かけた・・・みたいな記述が何度かあります。衣、食、寝をどうしていたのか・・・不思議、疑問はたくさんあります。

・10連休には参りましたが、天候に恵まれ5月でした

5月は本当に天気に恵まれて、快晴のバイク日和がうれしかったです。居心地が良いのでキャンプ場に連泊もあり。しかし、前代未聞の10連休には、問合せたすべての宿泊場所を完全に断られた日もありホント参りました。(;_;)

・どこの地域でもあった「大地震」と「大火」

奥の細道の句碑や各地名所の「説明書き」を読むと、多くのところで大地震を経験しています。100年くらい毎でしょうか。特に三陸は繰り返し津波の被害が。初めて知って衝撃的だったのが、象潟の「九十九島」。1802年地震で地盤が隆起して島ではなくなってしまったこと。芭蕉さんは美しい光景を見ています。その後ですから。   大火事も海沿いや、山間部の密集地域で多く発生しています。いつも歴史と自然災害がかかわりあっています。