すみません。^^; ただいま一時帰宅中です。31日に新潟へ。
↑ 出発の初日4/27の写真を公開していませんでした。遅くなりました。
こんにちは。ただいま一時帰宅中です。「いつになったら再スタートするんだ!」という声が聞こえてきそうです・・・ (^^) 30日の用事が済んだ後、31日には新潟に戻りたいと思います。
ただ、戻ったら、佐渡島に行ってみたくなりました。(^^ゞ ちょっと佐渡に行ってから、奥の細道ルートに戻ります。一度も渡ったことがないので、ずーっとの宿題でした。(芭蕉さんは 佐渡島には行っていません)
「奥の細道・前半」をちょっと振り返ります
4月27日に出発して26日間で約2300kmを走りました。
奥の細道を辿ってみようという軽い気持ちで始めましたが、小説やドラマに引き込まれていくように、だんだん「奥の細道」へ奥深くのめり込んでいく感じになっています(笑)。私は研究者ではないですし、詳しいことはわかりません。ただ、この旅を半分終えて、「芭蕉さんの追っかけマニア」になっていく自分に気が付きます。多くの人が奥の細道、そして芭蕉、曾良に興味を持って研究して、いろいろ意見を述べたい気持ちがわかります。今までに、たくさんの方々が奥の細道をたどり、その記録をインターネット上で残しています。どの記録も実に正確で、あとから辿るものとしては、ほんとうにありがたいです。特に詳細な地図や写真は、句碑などを探すときなどにたいへん役立ちます。いま、ナビやGPSを必死に使っても迷っているのに、芭蕉さんたちは、どのようにして目的地を突き止めたのか、不思議でたまりません。
驚いたこと、わかったこと 奥の細道は全行程150日くらい、歩行距離約2400km(私は余計なところを走っていますので走行距離がすでに2300kmくらいと伸びています) 驚くのは、330年前のことでありながら、「〇月〇日、〇時ころに、〇〇兵衛宅に到着した」というところまでわかっていることです。
地図について 伊能忠敬によって地図がつくられたのが1800年代ですので、芭蕉さんは地図をどうしたのか不思議でした。ただ1600年代に、かなり日本の形になった地図(北海道がない)があるにはあったようです。奥の細道に使ったかどうかわかりませんが、地図という感覚がなくても歩ける方法があったのだと思います。伊能忠敬も50歳を超えてから17年間歩いて、正確な日本地図を作りましたが・・・それも芭蕉さん同様、すごいことですね。
「曾良旅日記」について(本名 河合曾良) 「曾良本」と呼ばれる曾良の随行日記がきわめて正確であったことわかります。しかし、記録にない期間があったり、芭蕉の記録との食い違い・・・など不明な点があったりして、これまた追っかけマニアとしては、楽しみでもあります。