キンモクセイ あたりまえの朝
秋晴れの空、キンモクセイの香りが遠くの方からヘルメットの中までやってきます。でもその木がどこにあるのか、ほとんどの場合わかりません。キンモクセイは目立たないようにひっそりと香っているから。 今年もまたそんな秋がやって来るんだ。 早朝のバイク通勤、いつもの静かな朝。 いつものように、あたりまえの、普通の朝であってほしい。
頭に浮かんだ「あたりまえ」の詩。 あれは だれの詩だっけ?・・・
「あたりまえ」 井村和清さんの「飛鳥へ そしてまだ見ぬ子へ」から
みんなはなぜよろこばないのでしょう。
あたりまえであることを。
お父さんがいる。お母さんがいる。
手が二本あって、足が二本ある。
行きたいところへ自分で歩いて行ける。
手を伸ばせばなんでもとれる。
音が聞こえて声が出る。
こんなしあわせはあるでしょうか。
しかし、だれもそれをよろこばない。
あたりまえだ、と笑ってすます。
食事が食べられる。
夜になるとちゃんと眠れ、
そして、また、朝が来る。
空気を胸いっぱいにすえる。
笑える、泣ける、叫ぶこともできる。
走り回れる、みんなあたりまえのこと。
こんなすばらしいことを、
みんなは決してよろこばない。
そのありがたさを知っているのは、
それをなくした人たちだけ。
なぜでしょう。
あたりまえ。