富山を振り返ります(その1)黒部の名水 、魚津で蜃気楼体験 、富山市内6/4〜5編 奥の細道「奈呉の浦」(または 那古の浦、射水市)を目指します。
毎日たくさんの出来事があり、感動しながらも走っているので書き込む時間が足りません。ほんのわずかしかお伝えできません、お許を!。 一週間前に佐渡にいたのが、何年も前のようです。浦島太郎はこうだったのですね…状態です。
富山の前に、新潟の報告をしなければなりませんが、ちょっと先送りします。どこかで頑張ります。(^_^;)
6/4 黒部峡谷鉄道の宇奈月駅から、海沿いに戻りました。いま、宇奈月はほとんど台湾からのお客さんです。(立山アルペンルートも)
黒部市から海沿いに富山市内へ向かいます。「魚の駅」もあります。立山から湧き出す水、上手に大事に使っています 水を。日本最初の船を通すための回転する橋。
魚津市。 しんきろうロードで魚津市内へ。 よくわからないですが、27度で暑くてなんとなく蜃気楼の気象条件じゃな〜い?と思っていたら・・・蜃気楼おじさんが(蜃気楼カメラファンの方) がいました! お化けみたいに聞いてみました 「 出ますか〜? 」「ほれ あそこ!少しのびとるで〜 」 お〜〜!蜃気楼‼️ゆらゆら
そして富山市内です。雲が少し多いのですが、チャンスはもう無いと思って、翌日6/5のアルペンルート行きを決断したのでありま〜す。(それが前の報告です)
6/6富山市内。まちのつくりに、ゆとりと美しさがありますね〜。ほんとにいいです。富山城址。富岩運河環水公園、優雅です。 ここで、「川越からですか〜?私 ロジャースのところに住んでました〜」とお父さんに声をかけられ、ひとしきり。 川越をよく知っています。
富山市岩瀬。 北前船時代のいい町並みです。江戸時代へスリップ。
射水市(旧 新湊市)奈呉の浦付近。「海王丸パーク」と「新湊大橋」すごいの作っちゃいました。(´⊙ω⊙`) 橋渡りました、こっ … 怖いです。周り見ちゃいけません、必死です。もうクロスカブで通りたくない、風があったら絶対無理です。 パークの観光案内所のOさん、とっても楽しい方で、これからの生き方について語り合ってしまいました。 (笑) 奈呉の浦のことを尋ねると、芭蕉の句碑があるので寄ろうと思っていた「放生津八幡神社」のお母さんにすぐ電話してくれて…。「余計なことしちゃったみたい」と。いえいえ ありがとうございました。 ほんとに毎日が「鶴瓶の家族に乾杯」みたいです。
放生津八幡神社。 (ほうじょうず)八幡神社に向かうと、お母さんが資料を用意して、待っていてくださいました。「10月1日の新湊曳山まつり」のこと、万葉の歌枕の地であること、「大伴家持 (おおとものやかもち」 のこと (教科書で習いましたか〜?) 、 そして「芭蕉の句碑」のこと・・・などなど。神殿のカギを開けて中まで見せてくれました。 突然 、「仕事は◯◯ですか?」と聞かれ、なぜわかる???。「元 …」ですと答えると、お母さんは元同業者でした。 びっくりは続きます。止めてあった車のナンバー、「あの番号、お母さんの誕生日ですか? 」 「そう」。 あははは… そうです 私と同じ日です。こんなこともあるんですね〜 。 そしてさらに、お名前が「おおとも」さん。そうです、大伴家持の… なのです。
芭蕉さんは奈呉の浦から、右方向 氷見のほう(荒磯海:ありそうみ) へ向かいたかった。しかし、泊めてくれる宿もないぞとおどされ、諦めるのですが、そんな気持ちを
わせの香や 分入右は 有そ海 わせのかや わけいるみぎは ありそうみ
と読んでいます。
八幡神社のお母さん、「あの新湊大橋、高所恐怖症には渡れん」と、遠回りして車を走らせているそうです。 立派な橋ができても、自転車、人は車道を走れませんので(エレベーター → →走って→ → エレベーター と使えば渡れます)、県営の渡し船が存続します。 消えちゃった「新湊」いい名前だったのになぁ〜。 おじさんは 「なんだかな〜」ばかり言ってしまうのです。 海ギリギリまでカッコいい「トラム」が来ます。神出鬼没の「ドラえもんトラム」きっといいことあります。 「川の駅」があります、日本のベニスと呼ばれるそう。